◆下書き:63スレ~ 日付:57スレ~ 〆(´∀`*)メモメモ                                 ●ご意見ご感想は、該当記事の拍手コメントか掲示板へどうぞ♪

    Heart Place - はあとぷれいす -

    2度と来ない『今』を大切にしたいから、笑顔を忘れずに前を向いて歩いて行こう。

    『ノーマライゼーション』に想う。

    京一。は映画館へ行くのが好きではない。
    映画自体は好きだし、
    あのど迫力は家の小さな空間では体験できないが、
    周囲の人の存在に神経が分断されてしまうからだ。

    まず一番に座席に固定されることが気にくわない。(笑)
    昨今の新しい映画館はまだましな方だけど、
    足の置き場に困るような狭い座席。
    座り心地の悪いシート。
    一番嫌なのが『肘掛けの占有権』。
    中には両方使うヤツもいるし。苦笑。

    その他、後ろの背もたれを足先で叩くヤツ。
    携帯をマナーモードにし忘れているヤツ。
    無断で撮影しているヤツ。
    おしゃべりに夢中なヤツ。
    子どもが泣き出してあやすヤツ。
    (→これはしょうがない所ではあるが、
    泣き止まないのならさっさと外に出るべき。
    同じ子育て経験者として。)

    要は不特定多数の人間が、
    1ヶ所に集まることに無理があるんだよね。

    コンサートや舞台も同じ。
    だいたい『無料』や『安価』なチケットだと、
    それ相応のマナーしかわきまえない人間が集まる訳で、
    当然不愉快な事象に遭遇する可能性が高くなる。

    もちろん、ちゃんと対価のチケット代を払っていても、
    オーケストラの演奏曲が流れている最中に、
    曲を口ずさむというあり得ない人間にも遭遇したことがあるけど。
    苦笑✕山盛り。

    今日のコンサートは、
    もともと『3才から~』と歌っていたし、
    『体験型』と書いてあるので、
    『ポンキッキ』だとか『おかあさんといっしょ』みたいに、
    就学前からの子ども達がわいわいガヤガヤ、
    騒がしい&飛び跳ねる系のものだろうと、
    理解して参加した。

    いつものように開演40分前には席に着いた。
    京一。がステージ側。
    パートナーは京一。の右隣に着席。
    二階席なのでとても眺めが良く、
    天井が三角に尖っていて、
    パイプオルガンもあり、
    ちょっと写真を撮りたかったところではあるが、
    そこは『ホール内撮影禁止』。
    じっと我慢の大五郎であった。(古っ!笑)

    座席は半分も入っていない。
    二階席は自分のいる一辺は60席ほどあるのだが、
    京一。達を含めて5人も座っていない。

    開演15分ほど前になって、
    少しずつ人が増えてきた。
    それでも半分くらい。

    右隣に60代位だろうか、
    老夫婦が腰掛けた。
    ・・・と思うとおっさん、
    スマホを取り出してステージに向けて一発。

    ガシャッ!

    おいおい。苦笑。

    コンサート会場に来た事の無い田舎者。
    演奏中にやらかす可能性高いな~。
    せめて無音にするアプリくらい入れろ。

    嫌な予感が少しずつ沸き上がる。

    反対側は、
    ステージすぐ側に数人いるだけで、
    20席位誰も座っていないので、
    このまま~と願っていたのだけどそうも行かず、
    20代くらいのカップルが隣に座った。

    10分前くらいになったら、
    一階席も家族連れがわさわさと入り出した。
    しかしざっと見て100席程空席が目立った。

    やっぱり『無料』だから来ない人もいるのかな?
    結構そんなものなのだろうな。
    小さい子どもをつれてのオーケストラコンサート、
    それも『東京フィルハーモニー交響楽団』のなんて、
    またとない機会なのにな~。
    小さいからこそ、
    しっかりとした場を経験させる。
    その場のマナーをしつける。
    そして子どもだましでは無い、
    『本物』を味合わせる。。

    須藤家では京一。のそういう信念の元、
    様々な会場へと子どもを連れて行った。
    もちろん、ぐずったり騒いだりすることは無く、
    周囲の人たちに褒められるくらいだった。
    ( ̄^ ̄)エヘン←自慢。笑

    あ゛、
    でも急な発熱とかぐずったりしていて参加を断念とか、
    そういうこともあるか。
    早くから席に着かないのも、
    飽きてしまう事への対策なのか。

    ・・・なんて25年前を思い出して納得していた。
    ※ 招待者数は1,500名だけど、座席数は1,632席。
    思ったように132席はわざと空けていたと言うことか。
    →小さい子ども達がいるからかな?

    二階席より一階席にいる子どもの数が断然多いことも、
    主催者側の配慮が行き届いているようで感心した。

    と、
    今度は左隣の若者がスマホを取り出した。

    こいつもかよ。。

    ・・・と思ったら電源を切ってた模様。
    感心感心♪
    (*-ω-)*´ω`)*-ω-)*´ω`)

    ホッとしたのもつかの間。
    配布された卵形マラカスを振り出した。
    これは多分『体験型』のシーンで、
    『さぁ皆さん、いっしょにここでマラカスしゃんしゃん!』
    とかなんとかするのだろうと思うし、
    やっぱり人間、
    貰ったからにはどんなものかと体験したいだろう。

    ただ、
    ずっと振り続けているのだ。

    通常なら5秒から15秒くらいで止めると思う。
    →うるさいし。

    ところが30秒くらい振り続けているのだ。
    それも何度も。

    しかも何故か彼のマラカスは音が響き、
    鼓膜に振動して痛い位なのだ。
    隣の彼女の方で振るのならまだしも、
    京一。のすぐ側で振るので、
    もう騒音以外の何物でもない。

    数分続いたかと思ったが、
    司会者が、
    『二階席は落とすと危ないので、
    マラカスはしまっておいてね♪』
    と言うと素直にしまった。
    (lll´д`)ハァーー

    その代わりにか二階席のひさしの部分を叩きだした。
    これが中が空洞になっているので響く。
    ・・・と思ったらこれはすぐに止めた。
    (lll´д`)ハァーー

    いっしょに来ている彼女さんは、
    コンサート会場にふさわしいような服装っぽかった。
    →膝から下しか見ていないけど、
    そのままご両親にご挨拶~でも、
    おかしくないような清楚な感じを受けた。

    二人というか、
    彼氏の方が雄弁で、
    彼氏の言葉しか聞こえてこない。
    聞き耳を立てていたわけでは無いが、
    声が小さくないので普通に耳に入った。

    知り合いの就職の話らしい。
    (→と言うところからも20代中頃か?)
    『○○(←職業名)になったんだ。大変だね。』
    誰かが就職した話らしい。
    『そっか、○○になったんだー。大変だねー。』
    『○○かー。大変だねー。』

    ・・・結構そのフレーズもう終わりにした方が。。
    『○○とは。大変だなー。』
    さすがに何かしつこいなと思った。

    この時に気がつくべきだった。。
     

    コンサートが始まった。
    第一部はオーケストラの演奏&楽器の紹介。
    日本最古のオーケストラの生の演奏は、
    やはり久々に聴覚神経や脳みその聴覚野が、
    刺激されているのを感じた。
    (↑ホントカ?笑)

    すると隣の若者が身を乗り出し始めた。

    極端にステージに近い席はともかく、
    コンサート会場はステージ中心部が、
    どこの席からも見えるように配置されている。

    隣の彼女さんは深く座席に腰掛けているので、
    特に見にくいわけでは無いのだが、
    興奮しているのか、
    身体を起こしているので、
    京一。の視界が遮られる。
    いきおいこちらも身を乗り出さざるを得ない。

    この状態がずっと続くのならまだしも、
    (嫌だけど。苦笑。)
    突然また身体を戻す。
    そしてまた身体を乗り出す。

    この繰り返しなのだ。

    映画で例えたら、
    前の人が帽子をかぶったり取ったりに近いかも。

    面倒くさいので、
    もうずっとこちらは身を乗り出していた。
    これはこれで結構疲れる。

    その状態を見ていたパートナーが、
    一部が終了した休憩時に、
    隣の老夫婦がいなくなったので、
    『戻ってこなかったらずれてあげるね?
    (´・ω・`)』
    と声を掛けてきた。

    やっぱり端から見てもそう見えるのだろう。
    ・・・で、その老夫婦は戻ってきたけど。。
    。:゚(。ノω\。)゚・。泣。

    第二部は、観客参加。
    身体を使ってのボディーパーカッションで、
    場内が一つにまとまるという『アレ』である。

    司会者が、
    『足(腿)パン!パン!(と叩く)、
     肩パン!パン!(と叩く)。
    右手をグーにしてオー!』
    とやり方を説明。

    一部でおとなしく座っていた、
    未就学児達の興味をそそるようにと、
    とても楽しく説明をしている。

    そしていよいよオーケストラを交えての本番となる。

    子ども達が沢山座っている一階席では、
    家族も兼ねて皆ボディーパーカッションをしていたが、
    ほとんどが大人の二階席では、
    一応手を動かすものの、
    それほど大きく叩いて音を出すという人はいなかった。

    ところが隣の若者、
    腿バンバン!肩バシバシ!!
    音が凄い。
    マジ本気で叩いている。
    おまけに最後の拳固を突き出す『オー』の部分。
    大人は照れもあるので躊躇するところだが、
    彼はまるでステージの人のように、
    元気いっぱい身を乗り出して、
    『オー!!』
    とげんこつを振り上げていた。

    もちろん彼女さんは引いているようで、
    肩と腿は軽く叩いているそぶりは見せていたが、
    最後の『オー!』はしていなかった。

    『腿が痛がゆくなっちゃったよ!』

    にこにこと話す若者。

    もともと『体験型コンサート』なので、
    静かなコンサート鑑賞は期待していなかった。
    ただ、目の前を遮られ続けたことと、
    警戒していた『子ども』ではなく、
    『大人』の行動で不快な思いを被ったと言うことが、
    驚きでもあった。

    コンサートが終わってからも、
    余韻を楽しむより、
    30%位の不愉快な想いに、
    なんだか損をしたような気持ちが残った。

    帰ろうとしたときに気がついた。

    『彼はボーダーなのではないか?』
    →ここで言う『ボーダー』とは、
    『境界性人格障害』のそれではなく、
    『正常』と『異常』の『境界(ボーダーライン)』のこと。

    風邪だって、
    医療機関で治療しなくてはならないレベルもあるが、
    身体を温かくして一晩寝れば治るレベルのものもある。
    『風邪っぽい』とはわかるけど、
    『風邪』と確定するの結構難しかったりする。
    →『風邪』と言わずに『感冒』とかだしね。

    同様に『正常』と『異常』を区別する、
    『ここ』というしっかりとした境界線は存在しない。
    グレーな部分があって、
    そこを超えたレベルが『異常』となるのだろう。

    そこで、今回の記事の題名の、
    『ノーマライゼーション(normalization)』
    と言う言葉に繋がるのだが、
    この言葉の意味は、
    『障害の有無にかかわらず、
    全ての人が平等に生活できる社会の実現』
    と言うことらしい。

    差別をする気はもちろん無いけど、
    『平等に生活できる社会の実現』って、
    とても難しいと思う。

    『障害者』の迷惑な行動を、
    『健常者』が我慢しなくてはならないのだろうか?
    (→今回の件のことではありません。念のため。)

    障害者と健常者が揉めた事件としては、
    某五体不満足なお方が、
    レストランに入る際に、
    80㎏ある電動車椅子+本人38㎏を、
    持ち上げて2階まで運んで貰いたいと言って、
    断られた『入店拒否事件』が有名だが、
    その当時までは『聖人君子』的な、
    『障害者の代表』のようであった当人が、
    実はとんでもない人間だったことが、
    この夏ワイドショーなどで話題になったことも、
    記憶に新しい。

    『障害者』だからって、
    『人生の辛酸をなめ尽くした聖人』ばかりでも無い。
    →黒人だからリズム感がいいとか、
    大阪人だからおもろいとは限らないのと同様。

    『個性』と『障害』は別物。
    →以前某身体障害者に何故か嫌がらせをされ続け、
    一週間で4㎏痩せた過去がある。
    その時に『障害者だからって差別しない。』と、
    固く誓った京一。

    つまりは、
    『障害』の『有無』『程度』と『平等』は、
    扱うことがとても難しい問題なのだ。

    障害の有無にかかわらず、
    一度しか無い人生。

    限られた時間を生きていく上で、
    『不快に感じる時間』は限りなく少なくしたい。

    『健常者が』、
    『障害者が』、
    と言う視点ではなく、
    自分自身の気持ちに素直に、
    『思いやり』を持った毎日を過ごせる社会に生きる。

    それが理想なのだろうね。

    多分、生きている間には到達不可能だろうけど。

    コンサート終了後、
    ずっとそんな想いが胸の奥深くに渦巻いていた。

     
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