◆下書き:63スレ~ 日付:57スレ~ 〆(´∀`*)メモメモ                                 ●ご意見ご感想は、該当記事の拍手コメントか掲示板へどうぞ♪

    Heart Place - はあとぷれいす -

    2度と来ない『今』を大切にしたいから、笑顔を忘れずに前を向いて歩いて行こう。

    思ったことをつらつらと。

    喫茶店の記事の下書きを書いていた時、
    過去の事を思い出した。

    一緒にコーヒーを飲んだ上司が、
    京一。を利用したいだけだとわかったので、
    急速にその組織に関心が無くなった。
    →だって組織の事務局長にしたいって言うんだもん。
    京一。は第一線で頑張りたいって言ってるのにー。
    事務なんてむりむりむり。苦笑。

    結局そこの組織とは縁を切り、
    最終的には別述の県単位の大きな組織のトップとして、
    自分の持てる限りのスキルを使って、
    人間関係に置いても自信を得ることができ、
    その後の自分の精神形成にプラスになることができた。

     
     
     
    自分の幸せと言うのは、
    やっぱり、付き合う人間の人柄に寄ると、
    この年齢になるとしみじみと感じる。
    友達はちゃんと見極めなきゃいけない。

    『親友』と言う言葉の呪縛に囚われている人は多い。

    毎日遊んでいるから『親友』。
    一緒に良く出掛けるから『親友』。
    何でも話せるから『親友』。

    小中学生の話かと思ったら、
    結構社会人になってもこういう意識の人って多い。
    なんか『親友』と『親しい友』とを、
    ごっちゃにしている気がしてならない。苦笑。

    小学生の時に『名探偵ホームズ』を読みふけった。
    物語を読むうちに、
    ホームズとワトソンの関係こそが『親友』と言うのだ、
    という定義が私の中に作られた。

    そう、『命を掛けて守り合える』のが、
    『親友』なのだと。

    うーん。。
    でもそこまでの仲はまず無理っぽい気がする。。(^◇^;

    『親友の為に』と『生体肝移植』とか、
    『生体腎移植』とか『骨髄移植』とか(以下略。笑)、
    実際の現場になって、
    いろんなドナーリスク(提供者自身の、
    今後起きるかもしれない危険性や生活上の制限等。)を、
    キチンと考えてそれでも『親友』の為に捧げる、
    というのは正直感動映画とは違い、
    現状では早々お目にかかるシーンが少ないだろう。

    ああ、だから逆に言うと、
    そう言った生体間移植のドナー待機期間が長いのは、
    『命をささげてくれる親友』が居ない人が多い、
    と言う事の裏返しなのかな?
    (→いや、実際には移植不適合とか、
    様々な問題が絡み合っているとは思うけどね。)

    京一。は『親友』と言う言葉が好きではない。
    というか、

      嫌い。

    『大好きな友達』と言う言葉で、
    自分の大切な友人を表すことが多い。

    毎日なんてもちろん会わないし、
    年に数回どころか、
    最近は数年に1回、2回レベル。

    困ったことはネットで大部分を解決できるし、
    弁護士などの専門家に金銭を支払って、
    責任ある回答を貰うと言うこともできる。

    逆に重い、そして責任のある相談を、
    『親友』に持ちかける方が、
    とても『甘えている』気がしてならないし、
    その『親友』を辛い立場に置く、
    と思うからである。

    こころがどん底に落ち込んだ時は、
    見も知らない人がくれた励ましの言葉で、
    ぎりぎり持ちこたえることができた。

    自分に寄せてくれる、
    『相手の温かいこころ』が、
    一番大切なのだと言うことに、
    気が付かない人が多すぎる。

    そしてその頂いた温かいこころを、
    また、自分も誰か、
    苦しみ疲れている人に渡す、
    そういう行為が満ち溢れていく事で、
    この世の中は浄化されていくのではないだろうか。

    『親友が居る』と言う人が悪いのではないけど、
    なにかそう『宣言する』ことで『親友が居ない』と言う人に対して、
    目に見えない優越感が感じられてしまうのはなぜだろう?
    (→前述のごとく私には世間一般の『親友』に当たると思う、
    仲のいい、急場に私の事を案じてくれる友達は数人居るが。)

    それが顕著に見られるのがネット。
    ブログやHPに良くあるずらずら~っと並んだ『リンク』。

    『これだけ友達がいるんですよ。』的な感を受けてしまう。
    そのくせ、いくつかはリンク切れを起こしていたりして、
    交流がまったく途絶えてしまっているのに気が付かない程。

    もちろん人によりPCのお気に入りに入れるよりか、
    ネットでリンクを張っておいた方が簡単♪と言う考えで、
    明記しているケースもあるだろうけどね。
    (→私の場合は、もともと心理関係のサイトで回答していたので、
    頭のおかしな輩がリンク先に嫌がらせをする事を防ぐため、
    敢えてリンクは設けていない。
    何かトラブルがあった時に、
    リンク先に迷惑を掛けないようにと言う予防線。)

    なんでこんなことを書くかと言うと、
    逆の立場の人間がどう感じるか、
    わかっているのかなと疑問に思ったからである。

    『親友がいてよかったねー。』
    『俺なんか友達いない歴=年齢ww』
    『自宅警備員(ひきこもりの事。)してます。』
    そう、自嘲気味に書く若者がとても多い。

    友達は作ろうと思わなければ、
    なかなかできにくい、
    ってか、

    人と交流しなきゃ無理じゃん。

    火星で友達ができるとは思えん。
    (→それ以前に命がもたないがー。笑)

    だからと言って誰でもいい訳ではない。
    そこで前述の、
    『友達はちゃんと見極めなきゃいけない。』
    と言うことになるのである。

    寂しいからと言って群れているのが一番ダメになる。
    誰でもいいんだよね。
    ちょっとだけどこか交わる部分があればと。
    両親が離婚したとか、
    勉強ができないとか、
    友達がいないとか。。。

    一般に言われる『不良集団』ってのがそれだよね。

    ひとりひとりは普通の子なのに、
    集団になると坂道を転がり落ちる石のように、
    悪に染まっていく。

    集団に外れることをする奴がいると、
    裏切られるような気がして、
    リンチをする。

    そしてさらに束縛が強まっていき、
    リーダー的な独裁者が組織を統括し、
    その行為を止める者がいなくなっていく。

    親に一番責任があると思う。絶対。

    以前、不登校児の親達と交流したことがあったが、
    『家に息子がいるといらつく。』
    なんていう親に目が点になった。

    最初はいい人だと思っていたのだが、
    別な視点で観察してみると、
    結局自分が可愛いエゴイストで、
    息子が大変なことになっていても、
    自分の事だけに力を入れていて、
    最後には旦那さんにも愛想を尽かされ、
    仮面夫婦状態。

    その頃から京一。に対しても何かおかしくなり、
    金銭的な付き合いを求めるようになってきたので、
    4回程失礼なことを我慢したが、
    5回目の段階で縁を切った。

    その後、どうなっているかは知る由もないが、
    同じようなタイプの不登校児を持つ母親と、
    グループを作っている。

    なんで気が付かないのかなと思う。
    不登校児を持ち、
    そして学校に通えるようになったのならいいが、
    もちろん、そんな成功例ばかりではない。

    だがしかし、
    親も子も自分で決めた道を進み、
    笑顔で毎日が過ごせるような、
    そんな環境に現在を変えられればいいのだ。

    変える努力をしない、
    変えるつもりもない、
    そう言うグループと一緒に首まで泥沼に浸かっている。

    自分だけじゃない。
    ほら、あの人だって同じだもん♪

    そういう負の連帯感が、
    泥沼の中に居心地のいい居場所を作ってしまっている。

    それって友達なのだろうか?
    こころから楽しいのだろうか?

    実際、どう思っているのか、
    さりげなく聞いてみたら、
    当人が居なくなると陰口を叩く。
    なんかその様を見てぞっとしたよ。

    『友達』じゃなかったのかい。
    『仲よし』じゃなかったのかい。

    自分で自分を昇華しようとしない親は、
    結局不幸の輪廻を知らずに子どもに背負わせている。

    そしてその子ども達はもがき苦しみ、
    親の予想もしない様な悲劇を起こすこともあるだ。
    その時になって親は過去を悔やんでも、
    もう取り返しも付かないということに、
    頭が回らないのだろう。

    もっとも、そう言う親自身も、
    その親によって『世代間連鎖』と言う形で、
    同じような思いを経て、
    今に至るケースも多いのは事実。

    だからこそ、
    様々な知識をもって、
    その輪廻の鎖を断ち切ることが必要なのだ。

    そこに『教育』と言うものが存在する。
    いや、しなくてはならない。

    そして『教育』がもっともっと、
    本人の魂を救うための手立てを。。。
    と思うのだけど、
    理想と現実の差が厳しいのはもう定説。
    ここら辺、教育関係者として歯がゆい限りなんだよね。

    ちょっとねー、
    なんかねー、
    今の教育現場ってさー、

    絶対おかしい。

    ただ私は文科省の大臣でもないし、
    メスを入れて改革するなんてできないんだよなー。

    自分でできる限りの事をしているつもりだけど、
    歯が立たないよ。
    o(´^`)o ウ~~~!

     
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