長瀞の桜 - 宝登山神社 -

1:
『長瀞駅前』交差点。
白い大鳥居がひときわ目を引く。
2:
寶登山神社御鎮座壱千九百年記念
事業の社殿改修等が竣功しました
装い新たな寶登山神社への
御参詣をお待ちしております
四つ辻角に出ていた看板。
なんか綺麗に改修されたのかー。
綺麗な神社って大好き♪ o(^-^)o
3:
途中に出ていた看板なんだけど、
舟下りにアドベンチャーは怖いよぉ。
それはもう『ラフティング』の世界だ。
(^◇^;

仰ぎ見る大鳥居。
赤い鳥居は見慣れているけど、
こういう白亜の鳥居も素敵だな。
青空だったら最高だったね。
因みにこの鳥居は、
鳥居上部の横木が上に反っている、
『明神(みょうじん)鳥居』というもの。
鳥居も調べると奥が深いんだ。
(^-^)

4:
道向こうにあった案内板。
英語はもとより、中国語、韓国語と、
海外からの観光客にも対応している。
( ゚Д゚)ノ凸へーぼたん
5:
平日なのに人が切れない。
約400本の桜がこの参道に花開いていると言う。
広い歩道が歩きやすい。
ガードレールじゃないってのも、
景観を損ねずにいい。

6:
パートナーが道の向こう側に見つけた変な店。笑
『長瀞サル劇場』って看板があった。
『営業日 土日祝』という事で平日はお休み。
7:
桜の幹から花が咲いていた。
盆栽用語で『胴吹き(どうぶき)』といい、
古い木や、
エネルギーの足りない木等に見られる現象らしい。
8:
何か可愛らしい中にも、
生命力の強さを感じる。

9:
7と8の画像を見て、あれっと思ったあなた。笑
そう、驚くなかれ、
あの伝説のヨコハマタイヤのスマイレッジ
(→という名称は初めて知った。(^▽^;))が、
ここ、長瀞に存在した!
いや~、こんなに状態良く現役な看板って、
結構レアもんではなかろうか。w(゚o゚)w
しかし、インパクト強っ!
会社名忘れても、
『タイヤに顔がある奴』
って言えばまず即答できるな。笑
赤や肌色が退色していない所を見ると、
塗り直しているとしか思えない。(^▽^;)
10:
また案内板が。
長瀞観光協会さん、いい仕事してますね~。
こんだけあれば迷う事もないね。

11:
長瀞駅前交差点から350m程のところを歩いていたら、
左側に竹林が出現。
華やかな薄桃色の桜の花と、
凛とした直線の竹の緑の対比。
12:
よく見ると竹林の奥には家があるようだ。
竹林の中に、
『国指定重要文化財 旧新井家住宅』
という看板があった。
調べてみたら、江戸時代中期、
今から260年ほど前に建てられた養蚕農家で、
石を置いた板葺き屋根が特徴とされているらしい。

13:
なんか『料亭』って感じの高そうなお食事処。。
( ̄へ ̄;)
秩父鉄道経営らしい。
14:
『本日、貸切にて営業中』だってー。
ん?結構リーズナブルなお値段なメニュー♪
後で調べてみたら、
特に個人でも食事ができるところ見たいだった。
今度訪れたら是非食事をしてみたい♪

15:
宝登山神社前のロータリー。
こういう広い空間が好きだ。
16:
流しそうめんの店。
→もちろん営業していないけど。
前に家族で宝登山に来た時に、
ここで生まれて初めて流しそうめんを食べた。
長い樋を流れるそうめんを、
不特定多数でつつくのは衛生的になぁ、、、
と思っていたら、
家族ごとにぐるぐる周る回転寿司の様な、
流しそうめんだった。笑
子どもたちは小学校低学年あたりだった。
家族で流しそうめんをつつく事もないだろうな。。
( ¨)遠い目

17:
ロータリー脇にある案内板。
18:
こっちも。
・・・ちょっと多すぎでない?
┐(´~`;)┌

19:
本殿入口に続く参道だけに、
広々とした開放感がある。
灯籠がいい味を出している。
20:
宝登山神社
宝登山(ほどさん)神社は、神武天皇(じんむてんのう)、
大山祇神(おおやまづみのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)
をまつり、秩父神社、三峰神社とともに、秩
父三社の一つとして知られています。
古くは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が山に登った
とき山火事にあい、そのとき巨犬が現れ、火を消したこと
から、火止(ほど)神社と言われていました。
本殿は銅葺(どうぶ)き入母屋造(いりもやづく)り、
千鳥破風(ちどりはふ)、向拝(こうはい)の軒(のき)k、
唐破風権現造(からはふごんげんづく)りと、江戸建築の
技巧美を、今なお伝えています。
生粋の日本人だけど、( ゚Д゚)ノ凸へーぼたん。。
やっぱり教科書だけでなく、
実地にあちこち見学しに行った方が良かったなぁ。
(→夏休みの自由研究なんかにもってこいだ。笑)

21:
毎月七日御本社
四月~九月 午前五時半
十月~三月 午前六時
御炊上祭り
毎月十五日午後三時 寶玉稲荷社
・・・って書いてある。
ん?寶玉稲荷社?
因みにこの後ろの松は、
町指定天然記念物の相生(あいおい)の松。
赤松と黒松ツの対の木。
赤松は推定樹齢百年。黒松は推定樹齢百年。
昭和天皇の御成婚を奉祝し、
野上・樋口の青年団員が1924年(大正13年)に植樹。
22:
入口に『是より神域 犬の散歩はご遠慮ください』の立札が、
『車止』と並んで立っている。
『神域』という言葉に、
目に見えない侵し難い神聖なものを感じる。
23:
開運招福の大きな絵馬。
平成壬辰(みずのえたつ)って書いてあるんだけど、
これもまた調べたら色々とあった。
うーん。日本の神道、奥深過ぎ。(^^;ゞ

24:
本殿前の二の鳥居。
威風堂々、
鳥居の見本のような美しさである。
25:
注連縄は真ん中が太いタイプ。
緩やかなカーブを描いている。
たぶん素材は藁ではなく合成繊維。
→昨今、良質の藁は入手が困難だからね。
間にぶら下がっているのは、
『〆の子』と呼ばれ、紙垂(しで)等と共に、
注連縄にぶら下げられる飾り。
さすが、改修しただけの事はある。
立派なものを飾っているね。
・・・で、
高級カーテンタッセルが脳裏に浮かんだ。。笑
『寶登山神社』と書かれた神額(しんがく)の額縁が、
かなり凝った彫刻の金箔仕上げとなっていた。
これだけ立派な神額はちょっと見られないと思う。
w(゚o゚)w オオー!

26:
鳥居の根元の藁座と言われる部分には、
奉納した人たちの名前が刻銘されていた。
27:
手水舎を過ぎて階段を上ると、
本殿が現れた。
物凄く大きいと言う社ではないけど、
神社建築の美を強く感じる。

28:
毬を持つ狛犬。
毬=玉=宝玉 という事で財力を表し、
口が開いているので『阿(あ)』の雄犬。
29:
子狛を連れているから雌犬。
子宝という意味があるらしい。
口を閉じているので『吽(うん)』。
専門的には『福島型』という分類の狛犬だそうだが、
これもまた多種多様のデザインがあって、
そっちの世界も奥深そうだ。(^▽^;)
30:
向拝(こうはい=
本殿や拝殿で屋根の一部を正面に突き出し、
拝礼の場所となっているところ)を飾る五匹の龍。
邪気が近づかないように守っている。
拝殿の彫刻は、名工の誉れ高い、
川原明戸村(現:熊谷市大麻生)の彫刻師、
飯田岩次郎の作品。

31:
龍の下の欄干に一羽、
金の羽を持つ鳥がぽつんと彫られていた。
こんな山の中だから都鳥でもないだろうし、
鴨類みたいな顔しているのだけど、
種類は分からなかったー。(^▽^;)
32:
宝登山神社ご由緒
所在地 長瀞町長瀞
御祭神 神日本磐よ余彦命(かんやまといわれひこのみこと=神武天皇)
大山衹神(おおやまつみのかみ)
火産霊神(ほむすびのかみ)
例 祭 四月三日
当神社は、約一九〇〇年の昔、日本武尊
(やまとたけるのみこと)が
東北地方ご平定のみぎり、宝登山(ほどさん)々頂に皇祖
神武天皇・山の神・火の神をお祀りされたの
がはじめと伝えられています。
尊が登山に先立ち、みそぎをされた「玉の
泉」は今も社殿の後に残っています。
また、登山の途中山火事のため進退きわま
った時、多くの巨犬が現れて火を消し止め、
尊をお助けしたことから、古くは火止山(ほどさん)と表
わし、後世宝登山と改称しました。
なお、この巨犬は神様のお使いで御眷属(ごけんぞく)と
呼ばれ、火災盗難除・方災除・諸難除の御神
徳が殊の外高く、更に宝の山に登るとの名前
から商売繁昌・諸願成就の祈願も盛んです。
宝登山神社々務所
だって。

33:
拝殿の右側に赤い毛氈を敷いた台があり、
なにやら乗っていた。
後ろに立札が立っている。
大祓いについて
私達の日常は、知らないうちに過ちや罪をおかし、
またケガレに触れながらの生活です。過ちや罪・ケ
ガレは、病苦や怪我、事故など災難の元となります。
「大祓(おおはらえ)」は、日頃の過ちや罪・ケガレを『人形
(ひとがた)』に託して祓い清め、神様から戴いた「清浄な身体」
と「正しい心」を取り戻し、神様にお守り戴く神事
で、六月三十日(夏越の大祓)と十二月三十一日(晦日
の大祓)の年二回、執り行っています。
「人形」に氏名・年齢を書き、息を吹きかけ、身体
を撫でぬぐい、過ち・罪・ケガレを託した「人形」を、
箱の中に納めて下さい。
当社では、大祓の当日「人形」をお祓いし、過ちや
罪・ケガレを取り除き、心身健全を大神様にお祈りい
たします。
初穂料は一体三〇〇円程度をお気持ちとしてお納
め願います。
喪中の方、清浄を願う方には、特にお奨めいたし
ます。
34:
右の人形入れ箱が男→白い人形。
左の人形入れ箱は女→赤い人形。
パチパチデジカメで撮っていたら、
社務所の人が気を使ってくれていた。(^▽^;)

35:
お祓の仕方が書いてあった。
先ず
※ 形代(かたしろ)(人形:ひとがた)
『男性は白』『女性は赤』に氏名
年齢を書き込んで下さい。
次に
※ 形代(かたしろ)(人形:ひとがた)を
両手で持ち息を吹きかけて下さい。
次に
※ 願い事等ありましたら心の中で念じて
下さい。
次に
※ 形代(かたしろ)(人形:ひとがた)で
身体を撫でて身体を清浄めて
下さい。
次に
※ 清浄め終わったら箱の中に納めて(入れて)
下さい。
丁寧に詳しく説明してある。
今は若者の間で、こういう神事や呪術などが、
アニメの影響で流行っているから、
結構人気があると思うな。
(→『陰陽師』とか『夏目友人帳』とか、
その他沢山あるよね~?)
36:
拝殿の両脇の欄干には中国の有名な孝行話、
『二十四孝』の彫物があり、
その解説板があった。
この後の彫物を眺めながら読むと、
話が理解しやすい。
赤兎馬(せきとば)を駆る関羽(かんう)
(脇障子の彫刻)
三国志に題材を求めたと思われます。関羽は劉備の臣だが訳
あって曹操に使え、一日に千里を駆る名馬赤兎馬を授かり、
劉備に対する忠義の心を持ちつつ活躍します。後に孫権によ
って処刑されますが、その才覚が霊験あらたかとして「廟」
に祀られ信仰を集めます。
二十四孝の内四話
貧しい郭巨(かくきょ)夫妻には母と赤ん坊があり、子を埋めてまでも母
に孝養をつくしたい郭巨が、穴を掘っていると黄金の釜が出
土し、子を埋めることなく孝をつくしました。
孝心の厚い王祥(おうしょう)は、厳寒に鮮魚を食べたいと願う継母のため、
氷上で裸体となり臥して氷を解かしながら大漁を祈ると氷が
割れ、魚が躍り出て掌中に納まりました。
両親と弟に虐げられる日々の瞬(しゅん)ですが孝・悌をつくし、耕作
に精を出すその姿に、天も感じ入り象が耕作を鳥が除草を手
伝います。堯王の後を継いだ瞬は徳政に励みました。
唐夫人(とうふじん)の姑の長孫夫人は歯が無く食事に不自由していました
が、唐夫人の授乳のお蔭で長生きし、死の床では義理を重ん
じた唐夫人の孝心を讃え、また感謝もしました。
・・・す、すごい話だ。。(^▽^;)

37:
白い象が畑を耕して、
青い鳥が空を飛んでいる。
鍬持ってるのが瞬かな?
おもちゃで遊ぶ幼児の傍で、
母乳を飲む長孫夫人。。
(//△//)
38:
子どもを埋めてまで親孝行。。
金の釜が出てきてよかったよかった。(*´o`)=зハァ-
赤ん坊を優しく抱いているのがほっとする。
で、素っ裸で氷を溶かすって。。。(`Д ´;)

39:
関羽と赤兎馬、かな?
40:
拝殿脇の通路をくぐり裏へ回る。

裏にあった彫刻と解説。
西王母(せいおうぼ)と東方朔(とうおうさく)
(脇障子の彫刻)
前漢の武帝は不老不死を願い、ついに仙人の西王
母と会うことが適い、不老不死の仙桃を授かるこ
とになりました。武帝に知略知己を以って仕える
東方朔は、三千年に一度しかならない仙桃を盗み
食いし雲に乗り逃げ出し、八百歳の齢をかぞえた
といいます。
なんとなく孫悟空と被る気がする。。
食い逃げはダメだってば。笑

41:
拝殿の脇。
中央に見えるカラーの小さな脇障子が、
前述の仙桃の故事の彫刻。
下の透塀(すきべい)の真ん中あたりにあるのが、
解説の板。
42:
その先にある、宝玉稲荷神社への鳥居。
衣食住を司る倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る。
失せ物が戻るご利益があると言われているそうな。
今回は時間もあるので寄らなかった。
次回の楽しみにしておこう。(〃^ー^〃)

本殿の真裏。
美しい神社建築。
側にあった解説板。
本殿妻懸魚と太瓶束
妻に下がる黒く塗られた板を懸魚(げぎょ)と呼び、左右
には雲形の鰭(ひれ)が従い、花弁を想わせる意匠の六
葉・樽の口から構成される。棟木と虹梁をつな
ぐ太瓶束(たいへいつか)がみられ、束を挟んで右に逆巻く水瀬
を泳ぐ鯉の姿を、左には龍へと姿を変えて、激
流を泳ぐ「登龍」の状があらわされています。

テクニカルタームばっかでよくわからない。
悔しいので色々と調べてみたのがこれ。
これらを『組物(くみもの)』って言うんだって。
( ゚Д゚)ノ凸へーぼたん。

43:
最初『泉のぞきみ』って読んでしまった。
m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m すんません。。
側に小さく貼ってあった投銭禁止の看板。
告
投銭禁止
この泉は、日本武命様が宝登山に登る前に、身をお清めになられ
た神聖な泉で『玉の泉』(たまのいずみ)と申します。
この玉の泉に、投銭されますと、金属の化学変化により水が濁って
しまいます。いつまでも清らかな泉を保ちまた後世へ残し伝えて行く
為、投銭をお止め下さる様参詣者の皆様の御理解と御協力をお願い
致します。
寶登山神社社務所
観光客は泉って言うと硬貨を投げ入れるからね。
┐( -"-)┌ヤレヤレ...
44:
『みそぎの泉』とも言う。
ちょっと濁ってる。。

拝殿に向かって左側の部分にある彫刻。
黄石公(こうせきこう)と張良(ちょうりょう)
(脇障子の彫刻)
秦打倒を企てる韓の遺臣張良の前に黄石公という
老人があらわれます。老人は張良の器を見定める
ため何度も沓を拾わせるなど試練をあたえます。
ついにいくつもの試練に耐えた張良は太公望不敗
の兵法書を授けられ、劉邦の軍師として漢の建国
をたすけます。
靴を拾うシーンだね。
いや、たとえ話が凄い。(^▽^;)

二十四孝の内四話
剡子(えんし)は目を患う両親のため、効能がある鹿の乳を得ようと鹿
皮をかぶり群れに近づき、鹿狩りの猟師に誤射されかかりな
がらも、これを得て孝をつくしました。
孔子十哲のひとりで、貧しく暮らす子路(しろ)は自身は粗食しなが
らも、日々の稼ぎで米を買い求め、遠路をいとわず親に届け
孝をつくしました。孔子は彼の死を悼みました。
山仕事をする父親と楊香(ようこう)の前に虎が現れ、今にも親を食らお
うとする虎の前に躍り出て身代わりになろうとする捨て身の
孝心に虎も感じ入って、親子は助かります。
死の病床にあった孟宗(もうそう)の母は、厳寒の冬ではあったが筍を食
したいと願い、これを適えるために竹林に筍を探すその孝心
に、天も感じ入り雪中に筍を生じさせました。
長坂坡(ちょうはんは)に戦う趙雲
(脇障子の彫刻)
趙雲は三国志に登場する好漢の一人で、愛馬白龍と涯角槍を
以って活躍します。劉備が曹操軍と干戈を交える「赤壁の戦」
に先立つ「長坂坡の戦」で、劉備の子「阿斗」を預かった趙
雲はこれを守り奮戦し、諸葛孔明をして「蜀の柱石であった」
と死後も多いに讃えられます。

このお方が愛馬白龍にのり、
涯角槍という長い槍を後ろに持つ趙雲、かな?

45:
雪の中で筍を掘る孟宗の話と、
父親を守るために捨て身で虎に対峙する、
楊香の図。
『孟宗竹』って名称は、
この話が影響しているらしいや。
( ゚Д゚)ノ凸へーぼたん。
46:
米俵を担いで届ける子路と、
鹿の皮をかぶっている剡子の図。

47:
また本殿を回った道をUターン。
大黒天の像があった。
子どもの頃、因幡の白ウサギに出てくる大国主と、
大黒天が一緒に書かれている本を読んで混乱した。
で、大黒天と恵比寿も似たような感じで、
(和風サンタクロース見たい。笑)
ときどき間違えたりしたっけか。笑
で、調べてみたら、
大黒天は大国主と神仏習合に寄ってできた神道の神様だと。
(^▽^;)
そういえば、ここ、宝登山神社は、同じ敷地内に、
玉泉寺という寺社もあり、
神仏分離後も仲良く宝登山を護っていると言う。
日本古来の神道は、とてもおおらかな宗教。
物みな全てに神が宿ると言うような多神教。
→『八百万(やおろず)の神』って言う位だもんね。
仏教の様な縛りもないし、
(→仏教は仏教で良い教えもあるけどね?)
一度本当にしっかりと勉強をしてみたい。
48:
日本武尊社のいわれ
このお宮には第十二代景行天皇の皇子
の日本武尊がお祀りされています。東国
平定の折、この山の神秘な雰囲気と美し
い姿に心ひかれた尊は、艱難辛苦の末山
頂に立たれ、この地を神を祀るに相応し
いところとされ、寶登山神社の礎とされ
ました。
尊の恩徳を偲ぶ人々は、尊が登山の際、
身をお浄めになった泉近くに、このお宮
を奉斎しました。
日本武尊社のお祭りは八十八夜(五月二
日)に行なわれ、尊の登頂の故事に倣い、
神輿に奉遷された御神霊は奥宮に赴き祭
典が齋行され、神楽が奉奏されます。こ
の祭りは別名「つつじ祭り」と呼ばれ、
秩父地方の農耕始めの目安となっている
ほか、宝登山の山開きとなる当日の山頂
は参拝者やハイカーで大いに賑わいます。
だって。
しかしそれにしても富士子ちゃん、
『やまとたけるのみこと』って打つと、
『日本武尊』って一発変換!
いや凄いなー。
(→そのくせ、結構簡単な変換を、
わざと難しくするんだけど。苦笑。)
49:
これがその日本武尊社。
ひと回り大きな屋根で覆ってある。

一通り見学したので、
今度は駅に戻り石畳を見に行くことにした。
神社仏閣は、小学校の頃から興味があった分野。
(→小学校三年か四年の頃、
夏休みの自由研究で、
住んでいる区内の神社仏閣に伝わる伝承を調べ上げ、
先生に特に褒められ、
研究結果が学校預かりになった嬉しい想い出がある。
こういう良い記憶がその後に影響するんだよね。
(〃^ー^〃) )
信仰から調べるのもいいが、
建築様式や仏具神具などの形から入るのも楽しいと思う。
埼玉にはまだまだ沢山の神社仏閣があるから、
エボすけで訪ねて回るのも楽しそうだ。
(→ついでに美味しいものも食べる、と。笑)
走りまわる生活からまたひとつ上のランクへ。
子育てもそろそろ終了のゲージが見えてきた。
少しずつ、自分の人生を楽しむ方へと、
気持を切り替えていきたいな。
※ 宝登山神社公式HP
大きな地図で見る
※ Aは入口大鳥居(一の鳥居)。
ここから桜並木が始まる。
Bは相生の松の正面20mほど手前の位置。
(→どうもポイントがこれ以上動かせなかった。)
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